笠岡こども将棋同好会 発足からの歩み (2002年7月〜)

 2002年
  7月
     
 
 当時、笠岡小学校(中央小学校と並び、市内で最大級の小学校。)に将棋好きの児童が何人かいて、
 そのうちのひとりである「F君」のお母さん「Fさん」より、将棋連盟笠岡支部宛に依頼が舞い込む。
 それは、「こどもたちに将棋を教えてくれませんか?」というものであった。
 まもなく、笠岡小学校の一教室を借りて、「こども将棋教室(もどき)」がスタートする。
 生徒数は10名程度、ほぼ全て笠岡小学校の児童であった。
 
 「Fさん」は、営業的な活動や、PCの操作も得意であった。
 会を「笠岡将棋同好会」と命名した「Fさん」は、発足から2年半ほど、会の代表を務めた。
 笠岡支部のメンバー3人(Y氏、O氏、私)が、将棋の指導に当たった。
 2003年  会場を、「笠岡小学校」から「笠岡中央ふれあい会館」に移す。
 広さにもゆとりのある良い施設であるが、会場費有料なのが玉にキズ。
 公民館での「主催講座」に認定されれば会場費は無料になるので、公民館での開講を画策。
 2004年  会場を「笠岡中央公民館」に移す。公民館の「主催講座」と認められ、会場費は無料に。
 市の広報などにも紹介されるようになり、生徒が市内の中心部以外からも集まるようになる。
 生徒の定員を15名に増やす。
 
 F君が中学受験で何かと忙しくなるにつれて、Fさんは会を休みがちに。
 息子の中学進学(名門の中高一貫進学校に見事合格。)を機に、Fさんが代表を退く。
 会の運営は、将棋連盟笠岡支部に一任された。

 会の名称を「笠岡こども将棋同好会」に変更。
 会の発足から発展に大変ご尽力いただいたFさんに敬意を表し、「同好会」の名は敢えて残した。

 メイン講師にY氏が就任。発足より講師を務めていたO氏は退任。
 私は自ら出場する将棋大会を優先し、大会と重ならないときだけこども将棋へ。 
 2005〜
 2007年頃
 市外の近隣市町からも、受講希望者がちらほら見られるようになる。生徒の定員を20名に増やす。

 生徒のH君が、中学選手権県大会で2連覇するなど大活躍。
 (H君、高校生になり教室を辞めたあとも、高校の大会で県代表多数の活躍。)
  2006年  教室での生徒同士の対局を、全てレーティング計算することにした。
 2007年  真備・真庭・水島の3教室交流戦(岡山県こども将棋教室交流戦の前身に初めて
 笠岡から参加
。以降、年2回(冬と夏)開催されるこの大会に、毎回参加者を出す。
 2009年  第2回岡山県こども将棋教室交流戦を、笠岡の当番で開催。県下の8教室と、
 福山から合わせて50名以上の参加があった。また、「棋士派遣制度」を利用して
 招いた棋士が、幸運にも現役バリバリの山崎隆之七段だったこともあり、
 盛況となった。


 Y君(当時小2)が、倉敷王将戦の県代表に。(低学年の部)
 笠岡東中(T君、K君、M君の3人)で文科省の団体戦県予選に初参加。
 優勝チームに対し1-2負けと健闘。
  2011年  元生徒のNさんが、中学選手権県代表に。(女子の部)全国大会でもベスト16と活躍。 (記・松田)
       

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